[週刊まなめはうす]まなめ様に読んで欲しい私の知るソーシャルゲームとは?

最初は「ブログとtwitterも始めればいいよ。」と言っておいて、そのうち「この辺はまなめはうすで詳しくやるよ」て言われて、入ったら「これは毎日見てないとわからないし、ブックマークにまなめはうすと登録しておくと便利。」とかなんとか言われてツールバーにお気に入りしちゃう。これは完全にソーシャルゲームの手口
こんにちわ、今週も週刊まなめはうすの時間です。
まなめ様から、平日連載を希望されてなんとかしたかったのですが、今週は俺の嫁が映画に出ているために気がオロロで、金曜日の夜にけいおん見ちゃったらもう「あずにゃん俺の嫁でよかった」ヘヴン状態でもう記事なんて書けない状態になってしまって今日までは通常運転でした。来週からは木曜日UPあたりを狙って頑張ります。バナナはおやつに論争から、土曜日は平日に含まれるんですか論争を繰り広げてもよかったのですが、年の暮れも差し迫っているのでおいておきましょう。というか、今週のネタはまなめはうすアクティビティですら内容な気もします。ただ、まなめ様に読んで欲しいだけです。


今話題のソーシャルゲームについて、私の生い立ちも絡めてひとつの結論を見出したので、ちょっとまとめてみました。
自分にとってゲームというと、それはひとつの戦略性のある頭脳運動だと思っています。私が最初にハマったゲームは「マジック・ザ・ギャザリングMtG)」というカードゲームでした。もう14年くらい前のことです。当時、高校生だった私は、愛媛という田舎に住んでいながらも周りの環境や友人に恵まれていたため、10人規模のコミュニティを形成することでMtGを遊ぶことができました。このMtGというゲームは、とても戦略性が深く、同時に技術も求められる難しいものでした。例えば、5色の色から構成される対立バランスから優位になるデッキ構成を考えるというところは、今の自分の物事の考え方の基礎となっているところもあり、非常に価値のある経験を得たなと思います。ただ、ちょっと特異な経験もしました。それは、MtGというカードゲームの欠点でもありました。
当時はまだ、MtGが日本でも流行り始めた頃で比較的にもカードを購入しやすい時期ではありました。そして、10人程度でやっているものですから、ある程度のレア価値があるカードも手に入るものでしたし、身内でトレードできるものも多くあったように思います。でも、本当に強いデッキというものの答えには間違いなく高校生では用意できないほどのお金が必要なものであったと思います。高校生にとって、お金がかかるというのは非常にネックではありました。たまに、大会などに出場すると、優勝するのは金がかかるデッキを持っている人たち。旗から見ていて、決して面白いものではありません。最後は、それが原因で熱を冷ますようにMtGから離れていきました。今でも、MtGは素晴らしいゲームだったと思います。でも、ゲームに桁を外れたお金が絡むとつまらないものになるという経験も得たものです。
さて、この話が前提でのソーシャルゲームとはなんぞや?ということなのですが、ここ半年くらいでモバゲーを中心に10作品程度を無課金でこなしてみました。カードゲームであったり、箱庭系であったり、多ジャンルをこなしてみました。正直、戦略性があまりにも少ないと言わざるを得ないというのが感想です。戦略性が無いというのは、例えば対戦をしたとしても単純な数値の大小で勝敗が決まるところなどですね。また、加えて言うと、コミュニティも築けない環境からか、ひとりでやっていてもおもしろくないというのもあります。課金をしても、運良く良いカードを当てないといけないとか、大金を払ってカードをトレードしないといけないとか。でも、そこまでしても戦略性のあるゲームに変わるわけではないのです。結局はどれだけお金をかけたのか、ということを競うゲームなのか?というところで、熱を冷まして・・・今、続けているゲームはありません。
個人的には、ゲームだろうと何だろうとお金を使うのは自由ですし、文句を言うつもりもないですが、対価として何を得られるのかはよく考えたほうがいいんじゃないの?とは思うところです。私には、ソーシャルゲームとは自己満足を対価にお金を払うもののように思えました。そして、私には、そこに美を感じない。そんなことに時間もお金も費やすなら、ブログの記事ネタでも考えていた方がいい。けいおんの映画をもう1回見た方がいいと。


ということで、今週の結論も「やったねまなめ様!ブログが増えるよ!」的なオチでしかないのですが。
どこかの漫画家は「ゲームは子供の役に立たない」と、現役でどこの役に立つのかわからない漫画を書いている野郎に言われていましたが、ゲームは人の役に立つ可能性は十分にあると思います。今の時代、ゲームでしか得られないものがあります。それは、直接ゲームの機能・性能からだけからではなく、副要因から得られるものもあります。金銭感覚であったり、思考理論であったり、もしかしたら人生観であったり。ゲームは偉大ですよ。軽んじてはダメです。そして、ソーシャルゲームを作っている人たちがゲームを軽んじてはダメだと言いたい。
そんなところで今週はお開きとします。